労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない、のですよ

(この項続く)なんてエラソーに書いたもんですから、前回の続きを書くはめになったじゃありませんか。
なんで逆ギレなんw

 

労組上部団体に「サヨク的」スローガンを叫ばされることがいやでウンザリだと。しかもその人が労組の執行委員だとか?
つまり幹部ですら嫌気がさすくらいなのだ、という。まるで予断を与えるための印象操作のような論法は、さきの匿名ブログだけではなく、SNSでも今年のメーデーなどに多く散見されました。

ニッポンから出て行けー!というウヨクなシュプレヒコールなら叫ぶのか、とも言えますがね。

 

そして、次のようなエントリーも出てくるわけです。

 

anond.hatelabo.jp

 

引用します。

労働組合なんだから労働者のためだけに動けばいいと思うのに、護憲、非核の考え持ってるひとも含めイメージで入るのためらってるひとも多いんじゃないかな、で組織率低下。

妄想だが、そういう労働組合のせいで労働者の意見が通りにくくなるから、ブラックとかが存続できてしまうのではともかんがえられる。陰謀か

 

妄想すぎます。

 

例えばジミントーの、立憲主義からは程遠い「壊憲草案」など国民を縛るものとして権力者側に都合の良い規定をしようとしている訳です。
つまり、労働者のためだからこそ、護憲になるのだろうと思うけども。

 

しかも、平常運転の労組が政治的イデオロギーだけを叫ぶわけがなくてですね。フツー、職場環境改善などに取り組んでんではないですか?
メーデーくらい残業粉砕!と叫ばせてくれ、というならば、普段何してんだよ、と思うのです。逆にメーデーだからこそ、政治的主張をするのかもしれません。

 

 ま、いいや、次。

 

とは言え、ニッポン最大の労働組合組織が正社員クラブと化し「企業の存続なくして生活なし」と、テメエらの保身、お手盛り御用組合と化しているのもまた事実。こう言うと当然じゃないか、という反論が予想されるけど、いくら企業にオベッカを使って、お手てスリスリ愛想笑いしても、一旦業績が悪くなれば、とっとと整理されるのがオチです。そんな例は枚挙にイトマがありません。


企業内労組の限界も見えています。
よくあるのが、大企業労組の専従役員がその地方の市議会議員になったりしていますよね。そうして公職に就くならば、その企業の社員のためだけじゃなく、派遣や非正規のために働いてんのかよと。その大企業の非正規雇用の処遇を改善するような努力してんのか、と思う訳です。
つまり、これからは業種横断的な地域労組、ユニオンなどが力を持つべきだと考えますがね。

労働組合って』という匿名氏は零細ブラック企業にお勤めだそうで。
ならばなおさら、その会社が存続しているうちに、或いは理不尽な不当解雇されたりする前に、労組を結成するのが良いかと思います。


それは、過去に理不尽な派遣切りで頭にきて、労組を結成したことがある、オッサンからの老婆心ではありますが忠告です。
解雇を通告されてから労組を結成しても遅いのです。

 

とまれ。

労組が反権力的主張をするのはその成り立ちからして当然です。労働法というものは、労働者と使用者・経営者(権力者)との力関係・格差が圧倒的なものになって、劣悪な労働条件のもと、労働者が使用者に一方的に搾取などされることがないように、労働者の生存権として19世紀に確立されたものです。労働組合というものは、圧倒的な力を持つ使用者側に、たった一人で経営者側にもの申すなどという、勇気が必要な、そして大変リスキーな、そういった行動を躊躇することがないように、有効な対抗措置として労働者の権利、団結権団体交渉権などが生まれたわけです。

 

ですから、こうして先人が勝ち取ってきた労働者の権利擁護は、元から強者に対する反権力的な色合いを持つのは自然ではないでしょうか。