正月のなんだかんだ

明けましておめでとうございます。

拙ブログを今年もよろしくお願いします。

 

…と言いつつ、テメエがさっぱり更新しないくせに!という批判を遠くに聞きながら、明けて2018年も1月2日。
私が購読しているブログの皆さんは何をしておるんでしょう。まったく新しい記事が出てこんではないか。
それで、仕方が無いから自分で書くことにしました。

 

お正月と言えば親戚一同が実家などに集まって、年賀の挨拶をするのが習わしだったりしますね。それでも最近は核家族化が果てしなく進行してしまい、あまり見られない光景かとも思います。
それでもご近所を、そっと窓のカーテン越しに、アガサ・クリスティのミステリ小説のごとく覗いて見ますってえと、向かいの老夫婦のお宅にも、普段はめったに寄り付かない息子夫婦が子供を何人か連れて来ていたりします。

 


孫たちにとって、お年玉さえもらえば、もう用はないんだよ、という本音を隠しつつ爺ちゃん婆ちゃん!と、とびきりの笑顔で甘えます。ジイジとバアバ(この呼称はオラ嫌いだ)にとっては大変うれしい事ではあります。だけれども、特におばあちゃんにとっては、おせちの用意やら食事の支度に追われてしまい、それに追い打ちをかけるように長男の嫁が全く気が利かなくて。少しばかり手伝ったらどうなの?と口を突いて出そうになります。「来てうれしいけど、帰ってうれしい、のもあるのよね」と愚痴が出て参ります。

 

でも、嫁さんの方にも言い分があります。
お義母さん、私が台所に立つとそれは違う、とか言うし。どこに何があるのか分からないし、何かを片付けようとすると、そこじゃない、とすぐ怒ったように言うし、古い調理道具しかないし、…等などで、結局食べ終わったお皿やお茶碗を下げて洗うくらいなのですが、それをしても当たり前くらいにしか思われなくて。なんだか気を使ってばかりで損した気分が積もり積もって、旦那の実家に帰るのは勘弁してほしいのが本音。

 

…、というそんなそれぞれの思惑や感情が、お向かいさんの一戸建て平屋周辺をぐるぐると渦巻いているのが私の妄想なんかじゃなく、はっきりと見て取れます(笑)

 


私のガキの頃はと言いますと、親戚中をいとこ達と回りまして、お年玉回収に余念がありませんでした。我が家にも親の兄弟が多かったもので、よく集まった記憶があります。今から考えますと、お年玉もバカになりません。だから親たちはおとしだまを「預かっておくね、すぐ使うでしょ」と取り上げたりしたんでしょうな。


父は父で、正月をいいことに朝から飲んだくれて、訪れた義理の兄弟などに説教半分のグダグダたわごとを喚きます。おおむね自分がいかに仕事を一生懸命、家族のため頑張っているか、という辺りのことを力説するんですけれどね。

 

そして「うちに来たら遠慮すんな!」などと、どんどん酒を勧めておきながら、皆が帰った後には、私の母親と「あいつら、遠慮がなくていかんな」と理不尽な意見の交換をいたします。
なんじゃそれ、と心の中でツッコみながら、それでも正月はアノうるさい親父も機嫌が良いから楽だったなあ。

 

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やっぱりこういうのを買ってしまいますな。
本当に今は便利になったもんで鏡開きといっても、底のシールをはがすだけ。中から真空パックの小餅が出てきます。まあ、青カビやなんかがビッシリこびりついてて、それを「大丈夫」とか言いながら、母が包丁の背中でこそぎ落としたものを食べる(大丈夫じゃないやん)、ということが無くて、それはそれで今の時代は良くなったよな、と思います。

 

まあ、今では両親とも他界してしまいまして。
正月だからといってもだーれも訪ねてきません。
妻はさる大手スーパーに勤務しているもんだから、正月もへったくれもありません。私だけひとり酒、手酌酒、と演歌を聞きながら…じゃなくて、ゴンチチを古いステレオで聞きながら。
お向かいさんの様子を見て、つい、ノスタルジーに駆られて下らんことを書いてしまいました。