旧車フェスで甦る思い出

少し前、地元で「旧車フェスティバル」があると聞き、無料だしちょっと行ってみるか、と妻と二人出かけた。

 

別にエンスーじゃなくても、昭和オジィにすれば旧車はやはり懐かしい。

ロータリー初代コスモは車体そのものよりも、マツダのエンブレムが泣かせる。
今見ても、いすゞ117クーペのリアビューは美しい。

 

スバル360のボディカラーが今風になってる…。

 

しかし、これ自動車税や重量税も割り増しですか?

維持費がかかるのに、大変だろうなぁ。
私はこの2月に、10年乗った日産ノートを廃車にしたばかりだ。

 

ところで、箱スカGTRやトヨタセリカLB、フェアレディZ234は勿論だけど、地味な旧車のほうが気になったりする。
例えばこんな、360㏄時代の軽四だとか。

 

60年代の三菱ミニカという軽自動車だ。
これを見つけた時、感慨深いものがあった。

…、しかしよく持ってるなぁ。
これはマイナーチェンジ後なのか、フロントグリルはこうだったかな?と思った。ボディカラーやアルミホイール?だとか、オリジナルからはかなり変更しているようだ。

 

このミニカには思い出がある。
ノスタルジーが溢れて、家に帰って古いアルバムをひっぱり出した。
やはりフロントマスクはこれとは違った。

父親が40歳の手習いで運転免許を取得して、その時初めて購入した”自家用車”がこの車だった。ボディカラーは白色。

 

うれし恥ずかし、運転席に乗っているのは小学生だったガキの頃の私だ。
隣には亡き母がいる。
たしか新車納車の日だったか。うれしくて記念写真、ということだったのだろう。

 

このすぐ後だったと記憶してるのだが、さっそく父が運転してこの車で近所を走ったとき。ちょうど下校していた嫌な同級生に目撃され、ヤバイ!と思って顔を下げて身を隠したつもりだったのだが、しっかり見られてしまったのだ。

 

翌日、学校でやっぱりそいつに「お前のとこの車は“バタコ”やんか」と冷やかされて、すごく嫌な気分を味わった記憶がある。
”バタコ”というのは当時の近畿地方だけだったのだろう、安物の車、という侮蔑の意味があったようだ。

 

”バタコ”だろうが何だろうが、我が家にとって初めての愛車である。
父親も家族を乗せてあちこちドライブに出かけたものだ。
数週間後の日曜日、以前に住んでいた神戸の街へ行ってみようとドライブ。

 

モータリゼーション華やかな頃、同じ車種がすれ違うとお互いにクラクションを鳴らしたり手をあげたり、挨拶する行為があった、と記憶している。残念なことに、このミニカはあまり売れていなかったのだろうか、すれ違う車にクラクションを鳴らす機会が少なかった。
前出のスバル360が爆発的に売れていて、しょっちゅうクラクションを鳴らしている場面に遭遇した。少し悔しかったり(苦笑)。
人と同じが良かった、なんていう価値観がそのころを端的に表している。

 

そのドライブの帰途。
渋滞に巻き込まれて車がトロトロ、としか動かない。信号がないT字交差点だった。
右折しようとする初心者の父親が焦ったのか確認不足だったのだろう、左側から来た直進の車と接触事故を起こしてしまったのだ。
子ども心にすごく不安感を覚えた。車を降りた大人同士が免許を見せ合ったりするのをドキドキしながら車内から見ていた。

 

しばらくして、修理が済んだということで車が帰って来たのだが、全く跡形もなくきれいになっているのを見てすごく感心した。板金修理、というものだと初めて知った。

 

この車、その後も3重追突の真ん中に巻き込まれたりして、あまり運がなかったようだ。それでも一家四人で大阪から鹿児島まで2昼夜かけて長距離を走ったり、けっこう活躍した。しかしあんな小さな車に4人乗りエアコンなんて勿論付いてなくて、夏の暑いさなか長距離を走ったものだと、いまさらながら驚く。


そんな記憶が甦った旧車フェスティバル。