ひとりメシが苦手で何が悪い

 4割弱の男性が、「1人外食」に苦手意識:日経ビジネスオンライン

ひとりメシ、ひとり酒は、「孤独のグルメ」風に言えば「現代人に平等に与えられた最高の癒し」としてすっかり社会に定着したように見える。

 だが、実態は少し違う。筆者は、『ひとり外食術』(弊社刊)という書籍の出版に当って、都内で働く数多くの20代~50代男女にひとり外食事情を取材した。そこで何度も耳にしたのが「実はひとりで店に入るのが苦手なんです」という告白だった。

 

え、ひとりメシが苦手やったらアカンのか?
オレも苦手っちゃぁ苦手やしなあ。

 

どうもテーマはひとりめしが得意になるためのノウハウを伝授してる記事のようだ。そりゃ勝手知ったる他人の家「今日は冷えるねぇ。あ、いつものやつ」と、言えるような常連さんになってる店の場合なら別にひとりだろうが関係ないんだろうし。要するに行きつけでないお店には入りづらい、てことじゃないのかい。

 

苦手な理由の一つとして、まず第一に時間をどう費やせばいいのか、という点。食事をしている間は良い。ただ、めしを注文して到着するまでのあいだとか、食った後の時間をどう費やせばいいのかわからない、と言ったところか。そのお店に新聞や雑誌マンガ本などを置いてくれている場合はだいたいOKだ。それを眺めつつ時間をつぶせばよいのだけど。

 

困るのが、それらが無い場合。

 

どこに視線を持って行けばいいのか?
スマホだったりケータイをいじるというのが最近の若い人の傾向だろうが、ケータイを業務目的以外で熱心にいじる、というのも自意識過剰なオッサンにとっては他人の目が気になります。

 

「キモいおっさんがケータイでアダルトサイトでも見てんのかしら」と、おねーちゃんの侮蔑を込めた脳内ツイートでチラミをされる、というのもなんだかとっても疲れるし。そう思われないためにもケータイは、さけーたい(シャレかい)。

 

となると、時間を持て余したオイラの視線は空をさまよい、テーブルの上の醤油や胡椒の小瓶のチェック、はたまた床の清掃具合にまで及びましてね。なんだか業務上、あるいは下請け業者の仕事ぶりをチェックする元請会社の中間管理職という気分になっていき、食事時間が「就業時間内」という趣になって参ります。なんかイヤだなあ、となるのも必然ではないでしょうか。

 

それと自分が知らない店で、ドアを開けた時に店の中にいる客(特に常連と思われる連中)が「誰が来たんじゃ?」と、なぜか中四国あたりの方言脳内ツイートで一斉に視線を向けられるのが嫌です。
『別に怪しいもんではありません、めしを食いに来ただけです』と、おずおずと店内に侵入していく、という卑屈感がたまらなく嫌でしょ?嫌じゃないですか?そうですか。

 

ですけどね、ひとりメシをしても問題ない、というお店も存在する。
端的な例でいうと吉野家ですね。吉牛はひとりに限ります。

「ご注文の方以上でよろしかったでしょうか」などと言う店員に対して

「変な日本語使うんじゃねえ!」といきなり上からの脳内ツイートを炸裂させられる。あとは紅ショウガを好きなだけトッピングして「文句あっか?これくらい乗せないと旨くねーんだよ!!」とこれまた脳内で罵倒ツイートができる。そして、食した後には間髪を入れずに並盛とみそ汁のお代を支払って、背中に少しばかりの哀愁を漂わせながら去っていく、という寸法ですね。

 

スナックやバーだとかキャバクラなんか話し相手(ママだとかおねーちゃん)が居るし一人で行くことには全くやぶさかではないけれども、よく知らない居酒屋の敷居は高い。
吉田類氏(居酒屋放浪記)のあれはテレビカメラを引き連れているからでしょ。そうでなきゃなかなか入れない。

 

もし蛮勇を振り絞っていくとしたら、本を持って行くべきでしょうな。私一度だけそれをやったことがあります。
あんまり高尚な本を持って行くと酔うに連れて頁をすっ飛ばしたりして、内容が理解できないかもしれません。けれどマンガ本はさけたほうが無難でしょうか。ま、「ひとり居酒屋で本を肴に酒を飲むおとこ」というポーズの側面もありましょうから、内容が理解できなくてもそれはそれで良いのかもしれません。