ワタミに未だ労組がないのだろうか【ワタミ・過労自死損害賠償を和解】

ワタミの過労自死の損害賠償訴訟の和解が大きく報じられてます。
ブラック企業」という呼称が世間一般に認知されて久しいが、その先駆けとなったワタミも大きな代償を払うこととなりました。
2年連続の最終赤字という事態に創業者の渡邊美樹が僕が経営してたらこんなことにならなかった」と言い放つ記事をネットで見たばかり。

  

「僕が経営していたら、こんなことにならなかった」 ワタミ創業者・渡邉氏に批判と失笑 : J-CASTニュース

そりゃ従業員を使い捨てする経営をすれば「こんなことにはならなかった」だろうけど「大変なことになる」な。

2015/12/08 10:01

 全く反省をしているんだろうか、と思わせるに十分な口ぶり。

ところが、その矢先の和解という報に少し意外な感じがした。

ワタミグループ過労自殺訴訟が和解 会社側が責任認める:朝日新聞デジタル

「すべて私の責任だとお話しした」 渡辺美樹氏一問一答:朝日新聞デジタル

 

この民事訴訟の件は以下の弁護士さんのブログが詳しい。

 

blog.goo.ne.jp

bylines.news.yahoo.co.jp

詳細については上記を参照して頂くとして。

 

本当に渡邊氏が責任を感じているならば、税金で生活をする公職で在り続けるということが許されると思うのかどうか。まずそこからでしょう。

 

以下は労働組合側からの記事を引用します。

 

blog.goo.ne.jp

(以下引用)

全国一般東京東部労組はワタミ過労死裁判の和解成立を受けて、以下の声明を発表しました。

 居酒屋チェーン大手のワタミで正社員だった森美菜さん(当時26歳)が入社2カ月後に過労死した問題で、東部労組に加入した遺族がワタミと当時社長だった渡辺美樹自民党参院議員ら役員を相手取り損害賠償を請求した裁判は本日、東京地裁で和解が成立した。

 遺族が和解した最大の理由は、ワタミなどの会社と渡辺氏ら役員個人が森さんの過労死についての法的責任を認めて謝罪したことである。2008年6月12日に森さんが亡くなってから、2012年2月に国が労災と認定した後もワタミ側は遺族と真摯(しんし)に向き合わず、面談や謝罪を拒み続けた。カネなら払うという態度だった。2013年12月に遺族が提訴した裁判で、渡辺氏は法廷に現れ「道義的責任について謝罪する」と言う一方で「法的責任の見解相違については司法の判断を仰ぐ」と争う姿勢を示していた。すなわち森さんの死から7年半の月日を経て、ようやく責任を認めて謝罪するに至ったのである。

 また、和解内容には、ホームページに謝罪を掲載すること、日本の司法では認められていない「懲罰的慰謝料」を事実上支払うこと、すでに時効済みの森さんの未払い賃金を支払うこと、森さん以外の従業員にも未払い賃金を支払うこと、労働基準監督署から是正勧告が今後出た場合には全従業員に周知すること、基本給に深夜手当を含めた額を記載する社員募集表示を見直すことなど、判決では得られない内容を認めさせたことも遺族が和解を選んだ理由である。

 ワタミと渡辺氏らは全面的に非を認めた。ここにワタミ過労死闘争は勝利解決を果たしたと宣言する。

 この勝利をもたらした要因は何か。まずもって森さんのご両親が娘の無念を晴らすために勇気をふるって闘いに立ち上がったことである。渡辺氏の参院選立候補に反対し、2013年6月に自民党本部前で抗議行動を行った際、不誠実な対応の自民党職員に対し、森さんの父親は鬼気迫る表情で「毎日毎日泣いているんだよ、俺たちは!」「なんでワタミを候補にするんだよ!」とつかみかかった。この場面は報道やインターネットを通して多くの人の魂を震わせた。

 遺族の闘いであると同時に、今回の闘いは「みんな」の闘いだった。ワタミ理念集の「365日24時間死ぬまで働け」という言葉は、森さんと同じように過酷な労働に苦しむ人たちの怒りを呼び起こした。自民党本部前抗議には東部労組組合員だけではなく全国から市民が集まった。裁判でワタミ側が管理職や社員らを動員し傍聴席を占拠した際には多くの支援者が本気で抗議した。インターネットは渡辺氏が不誠実かつ偽善的な言動を行うたびに反論コメントなどで「炎上」した。多くのジャーナリストが動き、ワタミの非道ぶりが連日のように報道された。弁護団は法的側面からワタミや渡辺氏らの責任を追及した。「みんな」の闘いで、「みんな」が勝ち取った解決である。

 ワタミは「ブラック企業」の象徴となり、渡辺氏は働く者にとって怨嗟の的(えんさのまと)となった。ワタミは昨年と今年2期連続の最終赤字に陥り、介護部門を売却した。飛ぶ鳥を落とす勢いだったワタミがいまや経営危機と報じられている。労働者を1人でも過労死に追いやると企業自体の存立すら危うくなる。すべての経営者諸君はこれを教訓としていただきたい。自らの職場でただちに長時間労働・過重労働を撲滅すべきである。

 いま、自民党安倍政権は労働時間の規制緩和として「残業代ゼロ制度」を導入し、8時間労働制を解体しようと狙っている。まさに「365日24時間死ぬまで働け」と労働者を追い立てる制度である。過労死を促進する立法をやめよ。すべての働く仲間は反対の声をあげよう。

そして最後にこう綴る。

最後に、ワタミで働いている皆さんに心からこう呼びかけたい。「ワタミの職場でぜひ労働組合をつくりましょう!」

 過労死した森さんは、わずか2カ月でしたが、皆さんの同僚でした。今回の解決がどれだけ高い水準であったとしても、森さんの命は戻りません。遺族が本当に望んでいるのはワタミ過労死を二度と出さないことです。裁判での和解協議でワタミ側がほとんど唯一、遺族の求めを断った事項がありました。それは将来にわたり残業時間の上限を定めることです。ワタミ側の対応に私たちは不満に思いましたが、同時に、今後の課題はやはりワタミで働く皆さん自身が主体となって行動し決めていくべきだと考えました。ワタミの労働者の生活と権利そして命が守られるためにはまともな労働組合が必要です。東部労組は最大限の支援を惜しみません。ともに立ち上がりましょう!

私としては赤字ボールドにした部分には本当に愕然とした。


被害者の森さんが亡くなったのが08年、すでに7年が経過している。
にも拘らず、東証一部上場企業のワタミ労働組合が結成されていないのだろうか?あまつさえ、わずか2か月間とはいえ同じ会社の同僚が自死した事件だ。世間でも大きく取り上げられた。職場で同じような境遇の従業員がそれで労組を結成しようと気運が上がっても不思議ではないし、逆に上がらないとすれば、どれだけ社畜根性だ、とも思う。もし仮に、従業員から声が上がったが、会社側の妨害で労組が結成できなかったとすれば、これは組合法7条違反でもある。

 

労組を毛嫌いする人などがよく言うのは「会社があってこそ仕事があり飯を喰えるのだ」などと云う。だが、企業経営が思わしくなければ連中は簡単に従業員の首を斬る。いくら会社にオベッカを使いへこへこ忠誠心を誓ってもお払い箱の憂き目に遭うのは間違いないのだ。

 

 

 

遺族との和解という現実を目にしても今もなお労組がワタミに結成されていないのか。
これが事実ならば本当に驚きを禁じ得ない。

 

追記:

「1年365日24時間死ぬまで働け」がワタミの理念だとか。そういう気持ちで働いてくれという意味だ、などと渡邉美樹はノタマウそうだが、創業者がそう思うのは勝手だし、またそうしなけりゃやっていけなかったかもしれない。だけども、人を雇うとは、そういうことじゃない。そんな根本的なものが欠落した経営者であろう。
しかも金銭欲が満たされた後は名誉欲なのか、政治家になり税金寄生生活をするなど。とんでもない御仁であることには変わりがない。さっさと議員辞職して欲しいもの。

 

そしてワタミに未だに労働組合が本当に無いのか?という件です。検索すると次のような記事を見つけました。

 

www.bengo4.com

 

ワタミには、企業理念の中に『社員は家族であり同志』という言葉がある。そういう人に対して、労使の関係は基本的に存在しないと思っている」――飲食グループを展開するワタミ桑原豊社長は「ワタミがブラックとは全然思っていない」と題した東洋経済オンラインのインタビュー記事でこう言い切った。

 

この言葉は、ワタミが「ブラック企業」と批判されていることについて、その批判を跳ね返すには労働組合を認めるくらいのことが必要ではないかと、記者から問われた際に出てきたものだ。

 

桑原社長は「経営側が決めることではない」としつつも、「これからも組合問題についてはいろいろなご意見が出るかもしれない。だが、今の段階として作らなければならないとも思わないし、作ろうとも思わない」「今のワタミにとって必要かというと、必要ではない」と明確に否定している。

 

 経営者である社長が「労組を作ろうとは思わない」などとぬかす訳ですから。認識の違いという生易しいものではないですね。「お前が言うな!」という言葉を投げつけておきます。「社員は家族」なんて綺麗ごとをほざくくせに。その家族を使い捨てするのかよ。


労働組合は、政治的なスローガンを叫んでばかり、という印象が若い人を中心にあるようだけれど、それは御用組合と化した既存の労働組合の責任でもあるでしょうがね。
劣悪な労働条件をたった一人で会社側に掛け合って改善する勇気は誰しも持てないだろうし、あまりにもリスクが高い。
であるなら、組合として団体で交渉できる権利を持とうと何故思わないのか。全くそれが謎です。従業員同士が愚痴を言い合って憂さを晴らしても何ひとつ良くならないことは決まりきっている話。ここまで来ると、私の嫌いな言葉だが「自己責任」という文言が頭をかすめます。